オーガニック・バニラビーンズ/スパイス/ココナッツオイルのバニラ ・アウローラ 【VAJOR】

「生産国の現地農園と直接取引」- 安心・安全・最も良質、わずかしか流通しない希少選別“ヨーロピアン・グルメ”品質ブラック・オーガニックバニラビーンズを提供いたします。

安全性と良質を備えた完璧な有機バニラビーンズ, オーガニック・スパイス, オーガニック・ココナッツオイル

Vanilla Auroraは品質と安全にこだわりつづけます。

「フェアトレード」導入により、生産農家が適切な労働賃金が保証され、「オーガニック」によって  「土づくり」から管理栽培された木々は「健康的」に育ち、養分をたっぷり吸収した製品となります!

会社概要

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会社名

株式会社 バニラ・アウローラ/
英名 Vanilla Aurora Japan Inc,

設立

2015年9月7日

取締役

岡村 岳彦

所在地

長野県飯田市桐林 292-3

TEL / FAX

TEL : 0265-49-8641 FAX : 0265-26-8231

Mail

vanilla@vanillaaurora.com

主要事業

バニラビーンズ、香辛料、ココナッツオイル、加工品の輸入販売

事業領域

上記商品の輸入及び卸・小売/または、これらに付帯する関連事業

バニラ・アウローラは現地と直接取引/ 現地調査を続けています

化学肥料は、土にとっての「サプリメント」と理解できるでしょう。私たち人間も動物も植物にとってもバランスのとれた食事が大切です。" 化学肥料 " はまるでサプリメントのみの食事のようです。病害虫の発生や、健康な体を傷めてしまいます。

圃場の( 土 )がすべての生命線

健康的で微生物が多く繁殖している「土」によってはじめて「 良質な農産物 」が生産されます。健康的な「土」の中には、1cm3あたり数億 ~ 十数億もの微生物が多様に活躍しています。微生物の働きにより保水と排水のバランスが良い、豊富な養分を蓄えた土が形成されます。あらゆる植物はこの土から「 養分 」をたっぷり「 吸収 」し健康的に育った産物は「 病害虫 」にも強くなります。「 バニラビーンズ 」でいえば、「十分な養分 」を蓄え、発酵によってもたらされる「 バニラの香り成分・ヴァアニリン 」の元になる糖分( 配糖体 )を多く含みます。「 グリーン・ホワイト・ブラックなどのペッパー 」「 チリペッパー 」「 ココナッツ 」、地中で育つ「 ジンジャー・ターメリック 」においても「 土と微生物 」の存在は極めて重要な役割を担っています。

「 農薬 」と「 化学肥料 」従来の常識

「化学肥料」は、化学処理によって、「 葉や茎、実・根 」に必要とする養分を直接植物に吸収される状態の「 無機質 」「 窒素・リン酸・カリ 」の状態で販売されています。「 有機 」の場合は、「 でんぷん・たんぱく質 」が「 微生物 」によって分解され有機質の状態の「 窒素・リン・カリウム・他 」に分解されます。さらに「 微生物 」の分解によって、徐々に「 窒素・リン酸・カリ 」へと分解します。ここまでは一般的な有機に関する定義です。

オーガニック先進国が知る有機栽培の常識

ここからが本題です。微生物はその一生(平均寿命は数時間程度)のうち、活発な活動を行い、「アミノ酸」「核酸」「酵素」等を生成して、これらを体内に残したまま、死んで(死)菌体となってそれらの生成物を土壌内に放出します。植物は、「アミノ酸」「核酸」「酵素」等を根毛から“「有機質」”のまま取り込んでいる。これが、昨今の定説になりつつあります。これは、コペルニクス的転回であり、理論生物学ではなく実際に40年以上前から取り組んでいるグループが日本にあります。

化学肥料の弊害は、滅菌消毒よりも深刻です

「 化学肥料 」を直接投入された土壌は、活発に働いていた「 微生物 」を死滅させてしまいます。また、「 土壌 」には多くの「 硝酸 」の形に変化した「 硝酸性(態)窒素 」が含まれます。これは、未熟な堆肥にも含まれます。原料に家畜の糞尿を用いた場合には「 小便 」もその成分になります。「 化学肥料 」は「 農産物 」の生産性や「 地力 」をだんだんと落としていくだけでなく、「 硝酸性(態)窒素 」を生み出し、「 害虫 」を呼びます。また、人間が取り込むことによって、「 ニトロソアミン 」という人間にとって良くない「 成分 」を生む元にもなるのです。

バニラ・アウローラは「品質と安全」の確かな仕入れのために現地法人と直接取引しています

ヴァヌアツ共和国「VENUI」と1999年からの取引

マダガスカル産の4倍の香り成分

VENUI Piero のバニラビーンズは現地を除き日本ではバニラ・アウローラでしか入手できません。

VENUIのバニラビーンズは最高グレードの「ヨーロピアン(グルメ)ブラックに位置します。しかも香り成分は、1997年には7%の含有量を叩き出しました。
現在でも実に平均で3.8%以上の含有量は、マダガスカル産の4倍、パプアニューギニア産の5倍以上に達します。

1999年シドニーは活気に満ちていました。もちろん現在もそれは変わりません。イギリスの伝統を堅持しながらも、ニュージーランドとならび南太平洋諸国との商業や文化、学術などの交流も盛んです。
翌2000年はこの都市でシドニー五輪が開催されました。日本の女子マラソン、高橋尚子選手が堂々の「金メダル」に沸きました。
私は当時在籍した業務に関わる食品展示会に赴きました。
ここで、「VENUI」の創業者 Piero と出会います。3日間の商談で取引を開始しました。
このあまりの品質の良さに、16年ほど前に、顧客であった大手取引先から直接このNENUI社の日本での購入権を持っていかれそうになった経験も懐かしいです。現在は、ヨーロッパ、パリより優先的にバニラ・アウローラが販売しています。
「VENUI」創設者Pieroは1970年代に当時としては珍しく大学院へ進みます。当時のイタリアは、マフィアが横行し、また地下鉄で大規模な爆破テロ事件が多発していました。
現在のイタリアとは、異なり、渡航先の安全性も危険地域のひとつだった時代です。農学部の大学院に進んだPieroはバニラビーンズを主題とした研究を行い、従来の習慣的な栽培方法ではなく、バニラビーンズの体系的かつ収量の増加のための論文を記しました。
この研究成果を持ってイタリアから南太平洋ヴァヌアツ共和国でバニラビーンズの栽培に着手します。
やがて、彼は「VENUI」成長の傍で、南太平洋諸国で、文字の読み書きができない初心者へ、栽培技術を教えます。また、彼たのためのテキストを作成し、現在では、世界中のバニラビーンズ栽培のバイブルとなっています。

老舗産出国/コモロ「vaniacom」との3年越しの商談から取引開始

マダガスカル産の2倍以上の香り成分

旧フランス領コモロはレ・ユニオン、マダガスカルとならび、バニラビーンズ産出国の老舗です。
この地で1999年から労働賃金の正当な報酬を約束するフェアトレードを導入し、安全と品質のためのオーガニックに取り組んできたのが、「vaniacom」女性オーナーのSitti氏です。彼女のバニラビーンズは、香り成分 [ vanillin ]がマダガスカル産バニラビーンズの2倍以上、パプアニューギニア産の3倍も含まれています。また、ヨーロッパにしか流通しない、ヨーロピアン・グルメブラックという最高グレードです。

彼女とは2014年にある機関からの紹介があり、2015年〜2018年まで毎年取引に関する情報交換を実際に会って確認しています。

今では、率直な条件の更新だけでなく、話題は互いの家族やスタッフに関する事にまで互いに思いやる声かけができる事にまで及んでいます。

2000年頃から始まった "サイクロン-ユダ”からのバニラビーンズの高値を彼女も経験しています。
昨今はその時を遥かに超えたバニラビーンズのインフレーションに対処するために、適切な対処が喫緊の課題です。
皆様のお手元に、最高品質のヨーロピアン(グルメ)ブラックバニラビーンズの提供に、今後も尽力してまいります。

適切なバニラビーンズの木々の管理を怠りません。日々の手入れにより健康なバニラビーンズは育ちます。下の図はバニラビーンズ栽培に重要な受粉の様子です。

バニラビーンズの歴史とルーツ

バニラビーンズが " 世界史 " に登場

1492年、スペイン南部の港を3隻の帆船が出港します。 彼らが向かったのは「インディアーナ」。現在の「インド」です。 「インド」には莫大な「黄金・香辛料」があるとされていました。 「スペイン女王」がスポンサーとなり、「黄金・香辛料」獲得に向かった船団のリーダーをジェノバの商人「コロンブス」が務めます。 同じ「キリスト教」国・「ポルトガル」は「アフリカ西海岸」を制し、「インド航路開拓」に乗り出します。

十字軍の失敗

この頃のヨーロッパ諸国は、多くの問題を抱えていました。 11世紀、「ローマ教皇」の元へ、東ローマ帝国(ビザンツ帝国)からの援軍要請が届きます。それは「【キリスト】の墓とされる【キリスト墳墓教会】のある【エルサレム】が【イスラーム】によって征服されてしまった。その勢いは国境近くにまで達している。援軍を出してほしい」との内容です。 以後、200年間で7回に及んだ「十字軍」の遠征は失敗に終わります。 「遠征」に協力した「西ヨーロッパ諸国」や「ローマ教皇」は、財政難に陥ります。それは深刻な問題でした。

「ペスト」の大流行

また、1374年ギリシアで大流行した「ペスト」が「ヨーロッパ世界」で大流行します。「身近な家族や友人」が次々と「ペスト」の犠牲になっていきます。また、流行は衰えを見せず、ヨーロッパ全体に及んだ流行で人口の4分の1から3分の1の人々が犠牲になりました。収束には長い年月を必要としました。

「免罪符」発行と「ローマ教皇」権威の失墜

当時の「ローマ教皇」は、絶対的な「権威」を誇り、「カノッサの屈辱」のエピソードでも有名な「教皇」の地位は「皇帝」を凌ぐ存在となっていました。また、西ヨーロッパ世界の精神的な支柱でもありました。そんな中14世紀から19世紀、「地球」は「小さな氷河期」を迎えます。それは現在の気候からは想像できませんが、「イギリス」の「テムズ川」が分厚い氷で覆われたほどです。 「貧困」「ベスト」「飢饉」を抱え、人々の精神的な支柱であった「ローマ教皇」の権威がだんだんと失墜します。中には、「ペスト」を恐れ、「ローマ」から逃げてしまう「教皇」までいました。

さらに「サン・ピエトロ大聖堂」の改築費も嵩み、「レオ10世」在位中「ローマ教会」は禁断の「カード」を切ってしまいます。「免罪符」の発行です。 「カトリック世界」では、人間が亡くなると「煉獄」に連行され、犯した罪によって「火あぶりの刑」に処せられると信じられていました。身近になってしまった「死」を目の前にして、人々は次々と「免罪符」を購入します。さらに「免罪符」を多く売った「教会」や「司祭」たちは、その成績を評価されるようになっていったのです。「信仰心」ではなく「お金」で、価値が決まってしまう時代が続きました。

飛躍的な航海術の発達をもたらした " 羅針盤 "

この時代になると、三大発明が次々とヨーロッパへ伝わったり、「発明」されていきます。  1, 「火薬」 2, 「羅針盤」 3,「活版印刷」です。14世紀ポルトガルの王子「エンリケ」の壮大な構想は現実のものとなっていきます。「大航海時代」が幕を開けます。「ジェノバの商人」「コロンブス」のもと、帆船は「黄金・高価な香辛料」の宝庫とされる「インディアーナ」を目指します。これによって「大西洋航路」が構築されます。

スポンサーの「スペイン女王」の喫緊の課題は財政難でした。

国家の先行きの見通しを立て直すためには、財政難を打開する「富」、国家収入を目的としていました。一方で「コロンブス」の目的は得意とする「商取引」や「キリスト教」の布教でした。

 

羅針盤と帆船を与えられ、西へ旅立った「コロンブス」一行は、現在の「サンサルバドル」に到着しました。また、ここが「インディアーナ」だと信じていました。

その後、現在の「ドミニカ共和国」の首都・「サント・ドミンゴ」を拠点とします。

しかし「コロンブス」は「黄金」を見つけ出せず、先住民や部下たちとの軋轢から、遅れて到着した本国「スペイン」の役人によって強制的に帰国させられてしまいました。

「ヨーロッパ文明」に影響を与えた「イスラーム文明」

6世紀「アラビア半島」に「ムハンマド」が誕生しました。のちに「アラビア半島」を一代で統一します。一神教であり、「旧約聖書」並びに「新約聖書」のもと「ユダヤ教」「キリスト教」と同じ「神」を「アッラー」と呼び信仰の対象としていました。この「イスラーム世界」は「知性」を重んじる文化を持ち、優れた「文明」を持っていました。「製紙法」「火薬」「羅針盤」も中国から、ここ「イスラーム」を経由して、「ヨーロッパ」へともたらされます。

さらに進んだ「天文学」や「大学」、私たちに身近な「アラビア数字」「アルコール」「アルカリ」は「アラビア」由来の言葉で、文明では当時の「ヨーロッパ」を凌駕していました。また、「人類の知的財産」とされる「ギリシア文明」を継承し、「ヨーロッパ」へと逆輸入させました。「ヨーロッパ」で忘れられていた「知的文明」が「イスラーム」によってもたらされることになリます。

「活版印刷の発展と宗教改革」

今から501年前、1517年現在のドイツにある教会の門に、ローマ教会を糾弾する「論題」がはり出されました。この「95か条」の「論題」の執筆者は、「宗教改革」で有名な「マルティン・ルター」です。「ローマ教皇レオ10世は(在位1513〜1521)「免罪符」の発行を許可。当時は「死後」人間は「犯した罪」によって、煉獄へ送られ火あぶりの刑を受けると信じられていました。「免罪符」を買えば「罪」が許されるとされていたため、多くの人々が「ペスト」「飢饉」によって身近な人たちが次々を「死」を迎える現実からの救いを求めて、「免罪符」を買い求め、「教会」は莫大な「富」を得ました。ここに「一石」を投じたのが「マルティン・ルター」でした。「聖書」はもともと難解な「ヘブライ語」「ラテン語」で書かれていたため、一般の人々は読むことができず、「キリストの言葉」は司教、司祭などの「聖職者」を通して教えられていました。活版印刷技術によって、「聖書」は「安価」に入手できるようになり、多くの人々に読まれました。彼の活躍で各国の言語に翻訳された「聖書」を読んだ人々は「免罪符」や、「聖職者」たちから伝えられた「キリスト」の教えの「ウソ」を見破ります。

「芽生えた喜びとルネッサンス」

マルティン・ルター”が言った通りだ。もともとキリストはいつも我々の近くにいた、彼の言葉はわかりやすく、人々が直面する課題に的確であり、人間味のある温かなものだったことを知ります。遠い存在だった「神」や「キリスト」「聖母マリア」と人間の距離が縮まり、身近な生活の中に存在することを理解します。また「イスラーム世界」からもたらされた、「古代・ギリシア文明」や「古代・ローマ」文明をも吸収した「ヨーロッパ」に「ルネサンス文明」が起こります。「ルネサンス」とは、もともと「復興」「再生」を意味する言葉です。「ルネサンス運動」は「文化」「芸術」「文芸」「科学」「物理学」「天文学」「生物学」をはじめ、あらゆる分野へ波及していきました。それは、「人々の日常生活」にまで及び、「フィレンツェ」から「イタリア全土」へそして「ヨーロッパ」へと「活気と歓喜」が広がりました。「神」を身近に感じ始めた人々は、自分の存在の尊厳を自覚します。また、そうした考えは自分以外の他者にも尊厳性を見出し、他者への思いやりを生みます。また、尊厳の眼差しは「人間」以外の他の「動物」や「植物」に対しても生まれることになります。

西洋史とバニラ文明の出会い

約1万年前に「アフリカ」から「アメリカ大陸」に到着したとされる「人類」は、ティグリス・ユーフラテス川流域・ナイル川流域・インダス川流域・黄河流域の他、中南米でも「文明」の花を咲かせていました。
中南米には広域的には「メソアメリカ」が発展的に各地の文明となり、「マヤ」「アステカ」「インカ」などの文明が栄えていました。「マヤ」は様々な歴史を経て「アステカ」へと継承されます。この地域には「トトマック族」と呼ばれる民族が生活しておりました。現在も末裔たちがこの地域から各地に住んでいます。
彼らは「メキシコ」東岸(ベラクルーズ地方)などで、「バニラビーンズ」を栽培していました。やがてこの地域も「アステカ」へと吸合されます。この時代には「カカオ豆」を使った「ココア」に似た飲み物に「バニラビーンズ」が使われています。また「チョコレート」の元となる食べ物にも、これらが使われていました。

バニラビーンズ栽培の広がりと人工授粉の成功

「スペイン」を通して「ヨーロッパ世界」へ渡った「バニラビーンズ」は、「エリザベス1世」に愛用され、「王侯・貴族」に広まっていきます。「マドリード」「ロンドン」「フランス」「アントワープ」などにも渡ります。1730年以前の「ロンドン」の「植物園」で栽培された記録、「ベルギー」の「アントワープ植物園」に「挿し木」用の「枝」が渡って栽培された記録も残っています。
また、パリにも「密輸」されました。この時代、「資本力」のある「企業」や「植物コレクター」たちによる「需要」が高まります。そして、「原産国」と同条件の地域での栽培が試みされるようになります。1819年には、「アントワープ」などを通じて「バニラの木」が「ジャワ島」へ送られ、栽培がされるようになります。
また、1839年にはフランス人起業家が「フランス領アンティル諸島」の「レ・ユニオン島」と「グアダルーペ島」に持ち込みます。そして、ついに1842年「レ・ユニオン島」の奴隷少女だった12歳の「エルモンド・アルビウス」によって、「人工授粉」の試みが成功します。「バニラ受粉技術」の確立です。その後、すでに「バニラの木」自体が栽培され始めていた地域「ジャワ」「南太平洋」「ミクロネシア」「メラネシア」地域へと広がっていきました。その間の19世紀までは、「受粉」をおこなえる「メリポナミツバチ」「ハチドリ」が生息する「メキシコ」「グアテマラ」が主要原産国でした。

アルファベットの発祥とスパイスとの出会い

人類はおよそ20万年前にアフリカ大陸で誕生

人類の祖といわれる「ホモ・サピエンス」はアフリカ大陸からユーラシア大陸を経て北米・中米・南米に達したのは1万年ほど前といわれています。ユーラシア大陸、アジア・アラビア、地中海地方などでは、数千年前から、スパイスは(食生活)になくてはならない(欠かせない)ものとして人間に深く関わってきました。ここで忘れてはならないのは、人類の祖先が誕生した時にはすでに「スパイス」自体は地球上に存在していたことです。つまり、人類誕生の前にはすでに「存在」し、その歴史は何万年も・何億年も前に遡ることになります。

スパイス文化の成り立ち

「人類」が「食」を狩猟や採取から「農」を発展させていく過程において、きっと様々な「植物」に出会い、その「性質」を見極めながら、「生活」の中へと取り入れていきました。何十、何百種類のもそれぞれが持つ「スパイス」の「香り」「辛味」「風味」「効能」などの臨床実験の結果が、「スパイス文化」を創り上げていったのではないでしょうか。

それは、ただ生きるための食事から、より美味しく、また心身に心地良い文化が育まれていったと考えられます。

また、薬効効果をも見出し、スパイス自体が人類の生活を一変していったと思われます。

スパイスは当時の西洋では特に「金」と同等の貴重な品として取引されていました

西洋では特に珍重され、(金)同様の価値を持ち交換された時代もあったほどでした。貴重なスパイスに価値を求めた各国は競って新航路の旅へ出て、その(生産)権益を巡って熾烈に争った「負の歴史」がありました。スパイスの権益を得た国は大帝国を築き、「秩序・経済・交易・文明を持つ「国家」を持つに至ります。すでにこの時代には、交易が「富」を生み出していました。 農業技術はのちに飛躍的に発展していきます。
今まで栽培できなかった地域で新しい作物を作れるまではまだしばらく時を待たねばなりません。よって今でいう「地産・地消」という「概念」はなかったといっていいでしょう。どうしても欲しいけれど、「ないもの」は「他国」へ求め、逆に「余る」のものは「他国」へ販売する。人類はすでに「グローバリズム」の中に存在していたとバニラ・アウローラは考えます。スパイスはまさに、世界の歴史の流れを作る大きな要因となり、世界中へと広がっていきました。現在ではスパイスをめぐる権益の争いは皆無となりましたが、太古からの歴史をへて、中世期から現代へ。スパイスは人々を魅了し続けています。

スパイスの歴史と東西文化の出会い

スパイスをはじめとした食料品や宝石などの希少価値のある物品は、産出される地域は限定的でした。これらを求めて貿易を行う商業や文明などは、やがて東洋世界と西洋世界を結ぶ交流を活発にする役割を果たしていきます。つまり「スパイス」という商品を目的として、「人間」と「人間」同士が「物」以外の「音楽」「言葉」「考え方」「技術」「ノウハウ」などの「交流」を行っていくようになったことを意味します。 スパイスは地中海沿岸地方では遥か昔から、商いが行われていました。 ”ハーブ”や”スパイス”はエジプトではミイラを作るのに使用されていたり、軟膏や脂薬として使ったり、”お香”アロマとして室内で炊かれていた記録があります。

古代エジプトとアルファベットの発祥

ejiput

紀元前1550年もの昔に書かれたという"エジプトの医学書「エーベルス・パピルス」"には、"アニス"や"キャラウェイ"、"カシア"、"カルダモン"、"マスタード"、"セサミ"、"フェネグリーク"、"サフラン"などのスパイスが使われていたという記録が残っています。やがてアラビア半島原産の木の樹脂である乳香や、東アフリカ産の木の樹脂の”もつやく(ミルラ)、
さらに極東の香辛料や宝石などが、ロバや、後にはラクダの隊商によって、長い道のりを経て運び込まれるようになった。このルートは ”香料の道”と呼ばれ、遠く南アラビアのハドラマウト(現在のイエメン)から紅海沿岸を北へ、メッカを経由してエジプトやシリアへと続いていました。「聖書」前半部にある「創世記」にも、この記述があります また、イスラエル王・"ソロモン" の勢力が大きくなり、"シヴァの女王"が急遽、宝石、金、スパイスを贈り物として献上したとの記述もあります。

およそ4,500年ほど前になりますが、ティグリス川・ユーフラテス川流域で大規模な農業が起こりました。豊かな川の水で大地を潤す灌漑農業が盛んになります。この時代、度々起こる川の氾濫の予測や、収穫の記録が文字として残されました。文字の形態から楔形文字と呼ばれています。

このあと、エジプト川流域にエジプト文明が起こります

エジプトに興った文明は高度な文明をもち、動物や人間、家や山などを形取った象形文字を発明しました。象形文字は、人類を取り巻く環境に応じて、限りなく様々な文字が生まれました。

文字数を規則的かつ効率的に簡略に成功したフェニキア人

アラブ諸国は古来より、何百年にもわたって、スパイス産地である東洋やアフリカと、それを必要とする地中海地方とのスパイス貿易の中継地点として大いに栄えていました。この交易を盛んに行ったのは、"フェニキア人"でした。
このフェニキア人はもともと貿易にの乗り出すまでは、良質の杉を産出する地中海東岸、現在の「レバノン」を拠点としていました。当時最高級部材の杉を使って船をつくり、良質の杉を他国へ売買する交易をはじめ、売買の管理するのに文字を発明しました。

「フェニキア文字」が誕生/ギリシア文字・ローマ字へ

膨大なエジプト文字(象形文字)の数を簡略化に成功したフェニキア文字は、やがてギリシアに渡りギリシア文字を産みました。またさらにヨーロッパ西部に達し、イタリア半島にわたって現在の“アルファベット”=“ローマ字”を生みだす事に成功しました。
もしもフェニキア人がいなかったらローマ字は生まれなかったかもしれません。当時のフェニキア人はそれほどの影響力がある交易を行なっていました。その活躍の最盛期には、地中海地方のみならず、遠くイベリア半島にまで交易を行ない、現在の北アフリカにある世界遺産「ケルクアン」に拠点を移していきました。

FOODEX JAPAN 2017出展

2017年3月7日から3月10日まで "幕張メッセ"で「FOODEX JAPAN 2017」が開催されました。

バニラ・アウローラとしては初参加

バニラ・アウローラとしては初参加となった「FOODEX JAPAN 2017」において、バニラビーンズをはじめ、スパイスは大反響をいただきました。
バヌアツ共和国、ヴェニュイバニラのバニラビーンズとスパイスは 「FOODEX JAPAN 2000」から「FOODEX JAPAN 2003」までは展示され、皆様に紹介していました。当時は、「マダガスカル」を襲った「サイクロン ユダ」と「コカ・コーラ」社の独占的な買い占めをはじめ、様々な要因によって、「バニラビーンズの価格は過去最高値を記録していた時期です。この時に日本市場へ販売を開始しました。

2017の段階で、「バニラビーンズ」が高騰していると報じられ、実際に高額で販売されていますが、世界市場で前回の高騰をまねいた「サイクロン ユダ」の時は、こんな穏やかな高騰ではありませんでした。しかし2018年、さらにバニラビーンズの価格は上がり続けています。では今後どうなっていくのでしょうか?前回の「サイクロン-ユダ」からの高騰は2000年ごろから2003年頃まで続きました。しかし、生産者が栽培の手を抜いても、キュアリングと呼ばれる発酵の工程の手抜きをして、まる「ミイラ」のようなバニラビーンズでも「高値」で取引され、バイヤーは、取引先を必死で探す。よって、「品質」は安定しない。また、農園や農夫の「品質意識」の低下を招き、やがて、バニラビーンズの価格は大暴落します。一旦需要動向の熱が冷めると急落しました。この時、高値はいつまで続くのかとの声が多く存在しました。

契約取引の重要性

この経験から、農園、バイヤーの人格的資質が問われるようになりました。心あるプランテーションは、継続的に信頼を置ける買手を求めるようになります。また、少なからず「市場」の影響は受けるものの、長い目で「信頼性」「継続性」をもてる「契約先」を求めるようになりました。今日現在、高騰は続いています。価格はすでに前回の最高値の4倍に達しようとしています。2000年前後の時代と現在の違いは、世界中が2000年代後半の「リーマンショック」から立ち直っていない状況です。また、新規の需要国の台頭や大資本企業の参入が見られます。

有機JAS取得と再出展

FOODEX JAPAN 2000 前後から「オーガニック・有機」の表示に規制がかかるようになりました。しかし、認証を取得するための「認証団体」が少なく、「システム」の整備が遅れました。「品質」は当時、最高クラスで、他産地を圧倒していました。現地の「オーガニック」は取得していましたので、中身は現在の有機JASと同じですが表示は許されません。また、「FOODEX JAPAN」のお客様の中に、大手のバニラビーンズと香料を販売する業者がありましたが、その業者に出し抜かれ、直接現地を訪問、取引を迫る被害も受けました。

まさかの事件からの信頼の回復と有機JAS取得

まさしく、雨降って地固まる。この事件を通じ、一旦は日本人の信頼を失っていましたが、弊社とヴァヌアツ共和国・ヴェニュイバニラの信頼関係は、さらに深まりました。また、オーガニック・有機認証システムが整備された昨今、バニラ・アウローラは、「有機JAS」取得に乗り出します。せっかくの「商品価値」を落としてまで販売することは、社是に反することになります。時間を要しましたが、出展直前に有機JASの取得が決定しました。15年近く日本で流通されなかったバニラビーンズが有機JASを取得して再び、販売されます。当時は最高品質は証明されていましたが、この間に、他産地でこのバニラビーンズを凌駕するバニラビーンズが流通している可能性があるかもしれません。よって、バニラ・アウローラのバニラビーンズの品質を市場にとう意味もあって出展を決めました。

最高品質であり続けること

FOODEX JAPAN 2017 出展で改めて最高品質と安全性が認められました。大きな反響をいただき、たくさんのお問い合わせをいただいております。今後も、「VENUI」「VANIACOM」「VAJIORバニラ・アウローラ」のバニラビーンズを自信を持って提供させていただきます。

オーガニック・有機栽培

"オーガニック"と"有機"は同義語です。世界的に安全性への関心は高まり続けています。

前項「バニラビーンズの歴史」の最後の章「芽生えた喜びとルネッサンス」の結びに、{「ルネサンス運動」は「文化」「芸術」「文芸」「科学」「物理学」「天文学」「生物学」をはじめ、あらゆる分野へ波及していきました。それは、「人々の日常生活」にまで及び、「フィレンツェ」から「イタリア全土」へそして「ヨーロッパ」へと「活気と歓喜」が広がりました。「神」を身近に感じ始めた人々は、自分の存在の尊厳を自覚します。また、そうした考えは自分以外の他者にも尊厳性を見出し、他者への思いやりを生みます。また、尊厳の眼差しは「人間」以外の他の「動物」や「植物」に対しても生まれることになります } と記しました。
バニラ・アウローラは、ルネサンスによってもたらされた生きる喜びと、自身と自身を取り巻く他者や環境への畏敬の念が発生したと考えます。現代の人類が取り組み始めた環境に負荷をかけない「地球に優しい栽培・産業」を根底にするオーガニックの思考性はすでに16世紀のヨーロッパに誕生していたのではないでしょうか。以下の表に近年のオーガニックの経緯を概略ですが、表記いたします。

西 暦

内 容 と 経 緯

1972年

「I FOAM」が設立 前年に日本では日本有機農業研究会が設立

1990年

USA「有機食品生産法」が公布

1991年

EU有機農業基準施行

1992年

日本ではガイドラインを制定 「茶」の輸出など有機認証の取得が始まる。

1997年

USA「固定有機農業基準案」公表

1999年

コーデックス食品ガイドライン承認

2000年

日本JAS法改正/有機農産物の日本農林規格などが制定。/ジャス法に基づく認証制度が開始される。

2002年

アメリカ連邦法に基づく認証開始。

2006年

日本、再改正したJAS法を施行。登録認定機関(オーガニックを検査する団体)の 登録条件にISOガイド65を導入。

2010年

月EU、日本の有機JAS制度を同等と認める。

2010年

5月日本が同等と認めた国が32カ国に。

2012年

6月EUとUSAでの同等性が実施される。

2014年

USAと日本の有機JASの同等性が実施。

2015年

カナダと日本の有機JASの同等性実施。

オーガニック・有機を定める農林水産省の「日本農林規格」

農林水産省の定めた「日本農林規格」には、「有機農産物」「有機加工食品」「有機畜産物」「有機飼料」についての規定が定められています。 少し難しいですが、要点を以下に紹介します。 有機農産物の規格第2条には生産の原則示されおり「自然循環型機能の維持増進を図るため、科学的に合成された肥料及び農薬のしようを避けること、土壌の性質に由来する農地の生産力(きのこ類など一部を除く)つまりは、土の生産力である「地力」を発揮させ、生産によって環境へ与える “ 負荷 “ をできる限り低減した栽培管理方法を採用する旨が謳われている。 弊社が該当する「有機加工食品」の規格第2条には、上記の「有機農産物」を原材料とし、第3条に指定以外の添加物(加工助剤)を用いないで加工・生産されたものの規定が定められている。

参考文献:沈黙の春

レイチェル・カーソン著

1962年アメリカ合衆国の生物学者のレイチェル・カーソンが「Silent Spring」日本語訳「 沈黙の春」を発表しました。
厳しい冬を越え、ようやく温暖な「春」を迎える頃には鳥がさえずり、冬眠から覚めた動物や虫たちが盛んに活動を始めます。 ところが、本著では「春」を迎えても静まり返った世界を示しました。
その原因を正し、究明を主張する内容でした。 この反響は大きく、当時の「第35代大統領」も関心を示す事に。
「オーガニックを考察するバイブル」となりました。 今でも、世界中で愛読されています。21世紀の今日への教訓、そして私たちが大自然と向き合うべき取組みの道標となります。

参考文献:複合汚染

有吉佐和子著

日本においては1974年、朝日新聞で有吉佐和子氏による「複合汚染」の連載始まりす。翌年の1975年に単行本上・下巻で出版され、環境問題や現代に通じる人間を含めた生態系への悪影響をリアルに執筆し、これも「ロングセラー」となり現在でも多くの人々に読まれ続けています。
地球が危機的状況であることを端的に示唆したこれらの書は人類に大きな影響を与え、「オーガニック」「有機」の目的である人と環境の生態系を維持し、蘇生させるためのプロジェクトの推進を加速させました。もし、機会がありましたらこれらの「オーガニック」バイブルを是非参考になさってください。

バニラ・アウローラは有機JASにもこだわっています

名前は "バニラ" ふたりの少女の物語

第一話 名前はバニラ 

可愛らしい少女が現在の中米・メキシコとグアテマラにまたがる村で誕生しました。大きな産声をあげた少女の名前は "バニラ・プラニフォーリア" と名付けられました。
少女は毎朝湧き水を汲みに出かけるのが日課でした。爺や・婆やと一緒に水ガメを持って泉にむかうと、鳥のさえずりが聞こえ、ミツバチや蝶々が綺麗な花と花を行ったり来たりしています。泉のそこから渾々と湧き出す水を小さな両手ですくい通って飲みほすと、体の芯まで潤い、一日の始まりがとても新鮮に感じられました。同じ時間、同じ道だけれど、毎日の空や景色、生き物たちの様子は少しずつ違って見えるのです。バニラにとってその全てがお話し相手であり、お友達でした。
ある朝、いつものようにバニラが目覚めるのを待って石段に座る爺やと婆やを見て少し悲しく思えました。なぜならふたりはバニラの目には小さく映ったからです。バニラは思いました。「きっと爺やも婆やも水ガメいっぱいを持って家に帰るのは大変じゃないのかしら。早く大きくなってひとりで水汲みに行かなきゃ!」

第二話 長い一日の始まり

「パンッ!」「パン、パン、パン」突然遠くから聞こえてきた耳慣れない音でバニラは目を醒ましました。バニラは眠い目をこすりながら小さな窓から外を覗きました。「あら、もうこんなに明るくなっている」
普段は小鳥のさえずりで目を覚ましていました。そういえば、今朝は小鳥の声が聞こえない。バニラは不安になりました。 いつもは、焚き木が「パチパチ」音をたてて、ママがご飯の支度を初めているのに家は「しーん」と静まり返っています。 バニラは慌てて大声で家族の名前を呼びます。「ママは?」「パパは?」
「妹たちは?」「弟は?」「爺やは?」「婆やは?」

……続く

続きは、ブログで綴って行きます

あらすじ

やがて成人を迎えたバニラ・プラニフォーリア。 彼女は慎ましやかで、飾らない女性に映ります。今は生まれた村から遠く離れた国で生活をしています。バニラ・プラニフォーリアは幼い頃から、尊貴な「美しさ」と周りを包み込むような人柄から多くの賞賛を浴びます。一方で、激しい「嫉妬」の悪口や陰口も浴び、数え切れないほどの嫌がらせも受けました。実は、あったこともない人から「利用」されたり、売り飛ばされそうになったり「運命」の波に翻弄される半生でした。
そんなバニラには大の「親友」がいました。彼女の名前は「バニラ・タヒテンシス」といいます。周りでは個性豊かな彼女と比べられたり、10代の頃は「ふたりはライバル」などと冷やかされたりもしました。
ある時には、ふたりを引き裂こうとする罠をかけられますが、ふたりの友情は誰にも壊されませんでした。 互いをよく知るふたりは、時には離れ離れになっても理解し合い、励まし合い、助け合って今日に至りました。世界中でたったふたりだけの小さな存在ですが、やがてひとつの国を越え、海を越え、地球に住む多くの人たちに安心、希望、自信を共有するかけがえのない存在となっていきます。
この物語は、ふたりの少女の生き方を通しながら、バニラと人間の歴史を繙き、これから私たちの歩むべき道を探求するドラマとしていくつもりです。 物語の途中からは、あまり知られていないもうひとりのバニラの少女が登場します。今後はブログにて執筆を続けてまいります。よろしければご愛読ください。バニラビーンズや歴史、の要素がふんだんに盛り込まれる内容とする予定です。

バニラ・アウローラのとり組み

バニラ ・アウローラ独自の品質基準を設けています。 7章にわたる基準を満たしたものだけにバニラ ・アウローラの独自ブランド「VAJIOR ヴァジョール」の認定ロウ印を貼付して格付けします。

私たちにとって「最高品質」と「安全性」の2つの条件が揃っていることを意味しています

バニラ・アウローラは、バニラビーンズ、スパイス、ココナッツオイルなどの農産物・農産加工品を独自に審査し、直輸入することで、最高品質と安全性を備えた逸品を皆様に提供させていただいております。

" 安全性の基準"

安全性はオーガニック・有機栽培であることが基本としています。災害などにより2年ほどオーガニックの表記ができない場合は、オーガニック性を確保している場合「VAJIOR ヴァジョール基準条項」に定めた基準を満たした場合、これを販売いたします。また、現地審査と書類により独自に調査を行います。有機JAS」マークが貼れない場合は審査を行ない、上記の通りオーガニック性が確保されたと認められる場合場合に限り「ノーマーク」であっても、その内容を記した上で安全と認め、販売を継続します。

"品質の基準"

品質は最終的な「成分分析」、「風味(香り』」、「味およびアミノ酸含有量」、「実験」の要素を総合的に判断します。また、事前に現地へ渡航し、栽培環境や作物の木々の状態を検査いたします。現地農園の圃場(畑)の土質、枝ぶりや葉や花を実地視察することですでにこの段階で、品質のほぼ9割を判断することができるでしょう。

オーガニック栽培農園と取り引きする理由

慣行栽培の実例

一般的な栽培(慣行栽培)による栽培をおこなっていくと、数年のうちに病害虫が発生しやすい環境になります。 1, 化学肥料を投入する。効果の即効性は目に見えてわかります。
2, 病気が頻繁に発生すると、消毒のための薬剤散布を行なう。
3, 害虫が多く発生することにより、隠れ家になる下草刈り作業を除草剤で処理する。

慣行栽培を繰り返した結果

1, 一般的な栽培(慣行栽培)による栽培をおこなっていくと、数年のうちに様々な弊害が顕著になり、土質も硬くなっていく。
2, 保水と排水の絶妙な土壌構造が壊れた状態になる。
3, 一昨年前までは、立派に育っていたバニラビーンズに病気が多くなる。
4, 熟したバニラビーンズを発酵させても、香り成分が年々減少する。
また、ココナッツオイルの栄養成分が落ち、品質が安定しなくなる。
これは他の農産物・フルーツやトマトなどの野菜でも同じと考えて良いと思います。

オーガニック・有機栽培の傾向と特徴

1, 病害虫に強くなる。2, 収穫量が上がる。3, 成分が安定し、年々良くなっていく。4, 1~3の結果としてみなさまへ、安全で最高品質のバニラビーンズをお届けできる。